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のこちゃん先生のプロフィール


80年の人生が走馬灯のように ...

英語の冒険 ... 英語ひとすじに80歳を迎える私

これまでの私の人生をふりかえると ...”冒険”そのものでした!
未知のものに対する好奇心は幼いころから目覚めはじめて、大人に成長するにつれてドンドン膨らんでやがて、一つの事を果てしなく追い求めてきたような気がします。
”英語の冒険”で世界中の人たちと巡りあい、特に太平洋の彼方のアメリカ合衆国には20回近く飛んで、現地の人たちとの楽しい交流や新しい発見などワクワクする感動を数え切れないほど経験しました ... これからオンラインでお会いする皆さんとその体験をシェアしたいと思っていますが、皆さんもこれから未来に向かってそれぞれの”英語の冒険”を楽しんでください。きっと素晴らしい冒険が待っていることでしょう!

1968年12月


日本英語検定協会による
実用英語技能検定(英検)
1級取得


1985年5月~


つくばEXPO'85
(3月17日~9月16日)
善意通訳活動開始 
翌年潮来アヤメ祭り
サッパ船案内テープ
英語翻訳 翌々年
鹿島港遊覧船案内
テープ英語翻訳


1991年~2008年


姉妹都市交流活動
(翻訳&通訳)
神栖市国際交流協会
事務局長就任
文化交流市民訪問団長
姉妹都市文化歴史芸術
100年史和訳


1995年


第6回霞ヶ浦世界湖沼会議
つくば市と土浦市で通訳活動


1999年~2008年


善意通訳組織の法人化
NPO法人N&NCorporation
本社:茨城県神栖市自宅
支社:米国カリフォルニア州ロサンゼルス


2001年~2002年


FIFAワールドカップ通訳活動
鹿島サッカースタジアム
accreditation/入場認可証
発行部門で通訳活動


2008年~2023年


ECCジュニア知手浜教室
英語講師


 のこちゃん先生のエピソード集

英語の冒険のはじまり

母の胎内で聞いた英語

母が神戸の生家から中国の上海に冒険に出たのは第二次世界大戦が始まった1939年の3年前だったと推測されます ... 9年間の上海での生活で母は北京語と英語の通訳をしていたそうです ... 終戦後、8ヵ月の身重の母は祖母方の実家の富山県魚津市で私を産みました ... 母の胎内にいた頃から私の冒険はすでに始まっていたのです ... 冒険心も母のDNAなんでしょうか?私の生年月日や上海在留の年数などから、母が上海に冒険に出た年齢は22歳前後と推測されます ...
私が大阪の実家から冒険に出かけたのと同年齢!

学生時代の英語の冒険

ネイティブ(英語圏)と出会う

私が中学に進学する際、「これからは英語の時代やからネ」と母に洗脳されて猛勉強したのを覚えています。ユーモアのセンスのある楽しい先生たちで中学の英語が大好きになりました。(英会話は中学3年間の学習が基本)大学生時代は音楽や旅行を楽しみながら、専攻の英文学、英文タイプ、英文速記など英語の勉強にも励みました。学長は英国人女性でYMCAの英会話コースの講師はドイツ系米国人男性たちでした。彼らから学習した英語力の成果を試そうと英検/STEP にチャレンジして1級をゲットしました ...

結婚生活と英語の冒険

英語の冒険という生涯学習

大学卒業後、外資系の百科事典の会社で働きましたが、習得した英語をもっと活用したいと横浜へ冒険の旅に出かけました ... そして、運命の出会いがあり結婚生活の冒険が始まったのです。主人の故郷の茨城県に移住したのは長男が胎内で8ヵ月の時 ... 私の誕生とオーバーラップ!長男と長女の子育てが一息つく頃から英語の冒険が再開してEXPO'85, 姉妹都市交流、世界湖沼会議、FIFAワールドカップの通訳・翻訳活動 を経験しました。提言書の表紙に採用された私のアイデア「Forward/前進する 」にあるように 冒険はさらに続いて行きました。(写真は茨城県の前知事任期中の”明日の茨城を考える女性フォーラム”第10期生たちと)※翌年2011年3月には東日本大震災

新たな冒険の始まり

伊豆から未来へ

4年前の誕生日にジャズピアノのライブとホタル狩りに伊豆へ冒険に出かけました ... そこはヴィレッジというユニークなコミュニティでとても愉快で楽しい仲間との出会いがあり、伊豆という風土 ... 自宅のある太平洋沿岸地帯の平原地帯の風景とは違った ... 不思議な感覚が私を一気に魅了したのです!十数年前に書き下ろした私小説の最終章にこのヴィレッジの冒険を加筆しながら、英語バージョンの出版にチャレンジしていますが、続編の冒険心も沸々と(笑) ...